アジアフィールド伝道 シンガポール
アジアフィールド伝道後半はシンガポールでの5日間です。 9月7日の主日礼拝はIJCSで守りました。 2名の方の証しとみなさんの美しい賛美が響きました。 9月9日は一日平和学習ツアーに出かけました。最初はチャンギ刑務所礼拝堂&博物館。戦時中、日本はシンガポールを3年半にわたり占領していました。欧米の一般市民を含む英軍など連合軍捕虜が収容されていました。戦後は日本軍の戦犯の刑務所となりました。連合軍には130数名の司祭・牧師が含まれていて、交替で礼拝がささげられました。当時の牧師・司祭の名前も刻まれていました。困難な状況の中で、礼拝が人々の希望となっていったと、ありました。 セントーサ島も日英の激しい戦闘の場でした。 セントーサ島のマーライオンは大きい! 旧フォード工場跡の戦争博物館でビデオや展示を見て、 日本の占領下のシンガポールの歴史を学びました。 特に中国人虐殺の事実は 心が痛みます。そして、シンガポールの北西にあるクランジの英軍戦没者記念公園へ。20代の若い人たちの墓碑が無数に並びます。日本との戦闘で命を落とした4000名あまりの慰霊塔と墓碑が静かにたたずんでいます。 日本側の戦争犠牲者の墓や明治から大正にかけてシンガポールで娼婦としてはたらかざるを得なかった「からゆきさん」の小さな墓碑があります。「からゆきさん」も20代で亡くなった人が多かったとありました。もともとは木標であったが朽ち果てたものを共済会が無名のまま小さな石の墓を建てたとありました。 日本軍は1942年2月15日にシンガポールを占領し、2月18日から18歳~55歳の成人男子をチャイナタウンの広場に集めます。この場所も「検証」の場でした。スパイの疑いをかけられたものは、トラックなどに積まれ、二度と家族のもとに帰ることはありませんでした。シンガポール側の数字では4~5万人が殺されました。その遺骨などを集めた慰霊塔が、シンガポールの中心部に白くそびえたつ戦争記念塔 War Memorial (日本占領時期死難人民記念碑」です。 今、平和な時代にあって、中華系シンガポール人、マレーシア人、日本人の 若者が一緒においしい中華料理をおなかいっぱいに、笑いながら食べることができる。多くの代償をもって与えられた和解と平和を守っていきたい。